
おにぎり協会クイズ【お米を知ろう!】Vol.524「米騒動」
未だ収まらない「令和の米騒動」。
備蓄米放出が決まったものの、それにより需給が緩むのか、あまり動きが無いのか、まだまだ先が見えない状況です。
消えた21万トンと政府はさかんに喧伝していますが、実際には収穫量そのものが少ないのでは、とも言われています。昨年の収穫量は679万トンでした。
ではここで問題です。
「米騒動」は平成にも起きましたが、本家本元は大正時代、1918年に発生しました。富山県魚津から発生し全国に広まったのですが…。
この年のお米の収穫量はどれくらいでしたでしょうか?最も近い数字を次のア〜エから選び、記号で答えてください。
ア.1,000万トン
イ.800万トン
ウ.500万トン
エ.100万トン
おにぎり協会クイズ【お米を知ろう!Vol.524解答】
正解はイの800万トンでした。
1918年(大正7年)の米の収穫量は802万トンでした。
当時の人口は5000万人程度で、今よりも少ないにも関わらずお米の生産量の多さに驚かされます。
当時は第1次世界大戦の影響で好景気が続いていたのですが、好景気は物価の上昇も招き、米価が急騰しました。また大戦の長期化やシベリア出兵を見込んだ米の買占めも影響しました。
なお収穫量ですが、1933(昭和8)年には1,044万トンと戦前において最も収穫量が多くなりました。1945(昭和20)年には582万トンにまで落ち込みましたが、1967(昭和42)年には1,426万トンを記録しました。