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知る
2020.08.06

少女がつくってくれた人生最高のおにぎり

先人たちが培った「おにぎり」という芸術

日本人にとってコメは最高の食材です。コメを炊くことは先人たちの知恵。和食は味が淡いコメを頂点として組み立てを考えますが、コメが主役の「おにぎり」は和食の原点。とりわけ塩にぎりは、コメのうま味を一番引き立たせる究極の料理です。さらに梅干しの酸味、海苔や昆布の旨味に食物繊維も加わることで「おにぎり」はバランス食として完成します。簡便かつ、シンプルで美しい。「おにぎり」は先人たちが培った芸術です。

目に見えない“愛情”が込められた母の味

「おにぎり」は、先人の理にかなった知恵が詰まっているだけではなく、ごはんにおかずを少しずつつまみながら、口の中でそしゃくしながら仕上げていく「口中調味」という、和食の考え方そのものとも言えます。また、炊きたてはもとより、冷めたごはんもおいしくいただける「おにぎり」は、優れた携帯食として日本の食文化の発展に大きく寄与しました。「おにぎり」で思い出すのは、なんといっても母親の味。子どもの頃、母親がおやつにと握ってくれた、戸棚に置かれた大きな「おにぎり」が忘れられません。「おにぎり」には、目には見えない愛情が込もっています。

人生で最もおいしかった「どら焼き状のおにぎり」

これまで私が食べた中で最高においしいと感じた「おにぎり」は、小学5年生の女の子が作ってくれた「どら焼き状のおにぎり」です。これは茶碗の縁を器用に使い、手で握らずにまとめられたものでした。「おにぎり」は、握ろうと思ってはいけません。余計な力が入り、せっかくの米粒がつぶれてしまいます。握るというより、まとめるという意識で形を整え、米粒と米粒がくっつき合わせられる程度が良いのです。

※一般社団法人おにぎり協会 会報誌「Onigiri Japan Vol.1」の「おにぎりとわたし」より抜粋

「分とく山」総料理長
野崎 洋光のざき ひろみつ

福島県石川郡古殿に生まれ。武蔵野栄養専門学校を卒業後、東京グランドホテル(和食部)、八芳園を経て、「とく山」の料理長に就任。1989年、西麻布に日本料理店「分とく山」を開店し、総料理長となる。テレビを中心に各種メディアでも活躍しており、 2004年のアテネオリンピックでは、長嶋茂雄監督の依頼により野球日本代表チームの総料理長を務めた。「食の原点は家庭料理にあり」という思想への共感者も多く、各種イベントや講演などの誘いも多い。

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