食べる
2017.05.30

守半總本舗による、おにぎり協会の「アートのり」と大森海苔の歴史

 

皆さんには見慣れているはず(?)のおにぎり協会のロゴ。これ、海苔に描かれているんです。

 

つくってくれたのは、大森の海苔問屋「守半總本舗」。「アートのり」と呼ばれるもので、海苔に食品用レーザーカッターで彩りをつけるというものです。代表の湯澤元一さんと、牧野誠さんがおにぎり協会の事務所に遊びにきてくれた際に盛り上がり、実際に作ってくれたものです。

 

東京都大田区、海沿いの大森・糀谷地区は江戸期の中期から、羽田地区も明治初期から海苔づくりが盛んでした。大森の海苔養殖技術と、乾海苔(ほしのり)への加工技術は、江戸時代の終わり頃より各地へ伝播し、新しい海苔生産地を生み出していきます。まさに海苔産業の元祖ともいえる場所、それが東京・大森といえるのです。

 

しかし、昭和37年12月、東京港の港湾整備に伴い、漁業権を放棄することで、大森の海苔作りは終わります。海苔に携わる人々は、海苔の養殖から加工問屋へと特化していきます。

 

加工問屋の主な仕事は仕入れた海苔に「火入れ」をすること。これは、海苔を2つ折りになっている状態から火を入れ、乾燥させ平らな状態に伸ばすこと。そして、焼き上げる「焼き加工技術」で海苔の価値を高めます。

 

明治2年創業の大森の海苔問屋「守半本店」からのれん分けを受け、昭和2年に創業したのが「守半總本舗」。守半本店の創業者、守屋半助は、食べやすい大きさにカットして、しけらないように缶につめる方式を考えた人だとか。まさに、海苔のイノベーターといえるでしょう。川端康成の「雪国」の中にも守半の海苔が登場するのだとか。

 

おにぎりに欠かせない海苔は、江戸から普及しはじめたということがわかります。海苔の色は黒と決まっていますが、こうやって彩りをつけたりすることで変化がでてくるかもしれません。海外では、カラフルなソイペーパーを使うことも。海苔の進化が、少しずつ始まっているのかもしれません。

 

 

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